Torterraの名前の由来・設定考察
ついにPokemon GOに第四世代実装らしいですね。
ピカブイも一ヶ月前ですが、話題を食い合わないのでしょうか?
Torterra
“Ancient people imagined that beneath the ground, a gigantic TORTERRA dwelled.”
翻訳・解説は “続きを読む” から!
概要
第四世代の草御三家、ナエトルの最終進化形です。
物理特殊が技ごとに分離したことにより、草御三家初の物理型となります。
ラグラージに引き続き、進化と共に超優秀技のじしんを習得する、草にあるまじき頼れる最初のパートナーです。
反面、氷を4倍の弱点として持ち、さらに鈍足なため、レベルで押せない対戦環境では活躍の場は限られます。
なお、登場から10年以上が経過した今でも、自身の進化系も含めて草/地面の複合は全ポケモンの中で唯一のタイプです。
名前の由来
Tortoise “リクガメ” + Terra “大地” と思われます。
tortoise は turtle “ウミガメ” に対して、主に陸棲のものを表します。
ちなみに、tortoise の発音はやや見た目と違って /ˈtɔːɹ.təs/、「トータス」です。
これら2つの単語の綴りや発音は似通っていますが、直接の語源の繋がりは見出せませんでした。(参考1,2,3,4)
直接の子孫ではなくとも、相互に影響しあって意味が変わっていった可能性などはあります。
もちろんどちらもヨーロッパ言語由来なので、さらに辿っていけばどこかで合流しているのかもしれません。
個人的にはこれだけ似ていて関連性がないのは不自然に思いますが、根拠を持っていないためこのように紹介しておきます。
ちなみに、イギリス英語では tortoise、アメリカ英語では turtle を総称として好むようです。
図鑑説明と設定
“古代の人々は地面の下に、巨大なドダイトスが住んでいると想像していた。”
beneath は under や below とほぼ同じ意味の前置詞です。
意味も形も似たもので underneath というものもあります。
これらの違いですが、まず above / over と below / under で、2次元的/3次元的というイメージの差があると言われています。
-neath を使うものはかなり形式張った言い方になります。
堅い語であるのに加えて、beneath には「隠れている」、underneath には話し手の主観が入る(下にあることを強調する)とのことです。(参考)
個人のイメージですが、洋楽の歌詞によく出てくるのがunderneathです。
主観的な意味や、長くなることによるリズムの違いが使いやすいのかもしれません。
なお、-neath自体に「下」の意味があるため、underneath は意味的に繰り返しです。
Nederland “オランダ=低地の国” や nether “下層の” と関連しています。
世界を支える亀
古代から人々が思い描いた世界の姿は様々です。
世界は平面であるとか、巨人が支えているなど、地域によって伝承は異なります。
その中で、古代インドの人々は亀が世界を支えていると考えていた、と言われています。
しかし、これは誤りであると指摘されています。
廣瀬匠. (2017).「誤解だらけの天文学史 ~「古代インドの宇宙観」を例に」.
(元ファイルは消えているため、アーカイブの利用を)
私自身も調べて見ましたが、インド神話に Kurma という亀の神がおり、世界創造に関与しているところまでは真実のようです。
また、この神話の初出がロック1989年であることもどうやらそのようです。
ヴェーダを読み込んで記述を探さなければ正確な判断はできないでしょうが、上記の記述が真実である可能性はかなり高そうです。
なお、上記で反論されているインド以外に、アメリカ原住民なども世界の下に亀がいるとの世界観を持っていた、とも言われています。
そちらについても真偽は不明ですが、このことについても面白い分析が上がっています。
Miller, J. (1974). Why the World is on the Back of a Turtle. Man. 9:2:306-308.
こちらでは、亀が忍耐や長寿の象徴であること、生命観をも表すといったことが指摘されています。
このように、亀はありがたいものとして扱われている一方で、ヨーロッパ圏では必ずしもそうではないようです。
tortoise の語源として、Tartarus (ギリシア神話の地獄のようなもの)との関連も指摘されています。
亀は死者の国からやってくる、という認識があったようです。
上記で「未開」のイメージに亀を採用したのも、そういった心理的背景があったかもしれませんし、ないかもしれません。
世界の見方は言語によって規定される、という学説もあるくらいですし、証拠に欠けますが可能性としてはあり得るのではないでしょうか。
さて、今週は色々な出典を元に長々と語ってしまいました。
目安の記述量は決めているのですが、気になることがあると調べて長くなってしまいますね。
割愛した部分については、また別の機械に。
それでは、来週もまたよろしくお願いします。